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札幌高等裁判所 昭和51年(ラ)17号 決定

抗告人 宇佐見恵子(仮名)

相手方 中村滋(仮名)

主文

原審判を次のとおり変更する。

事件本人中村大介の監護者を抗告人に指定する。

抗告人のその余の申立を却下する。

理由

一  本件抗告の趣旨及びその理由は、別紙記載のとおりである。

二  本件記録中の当事者双方の戸籍謄本、抗告人作成の昭和五一年二月一五日付、同年三月八日付(二通)の陳述書、同年六月一七日付申述書、田辺キヨ作成の陳述書、藤田ゆみ子作成の昭和五一年二月一五日付、同年三月八日付陳述書、相手方作成の申述書、抗告人作成の「念書」と題する書面(原本の写)、抗告人宛の給料支払明細書六通、原審及び当審における当事者双方の審問の結果によれば、次の1ないし6の事実が認められる。

1  抗告人は、その実母藤田ゆみ子が相手方の経営する肩書住所地の割烹「○○○」に仲居として住込稼働していた関係で、昭和四六年八月頃相手方と知合いになつた。そして抗告人は、昭和四八年九月一五日相手方と結婚式を挙げて、同年一〇月二九日婚姻の届出をなし、「○○○」で同居し、その手伝をするようになつた。

昭和四九年一二月二七日右両名間に長男の事件本人が出生した。

2  ところが抗告人は、相手方及びその両親ととかく円満を欠き、昭和五〇年九月三日相手方に協議離婚を申出たところ、相手方も即座にこれを同意したので、即日同人と別居し、肩書住所地で実母ゆみ子、祖母キヨと同居するに至つた。抗告人は、同年九月八日頃離婚届用紙に署名押印してこれを相手方に交付した。

3  そして、抗告人は、昭和五〇年九月九日相手方に対し自分が事件本人の親権者になり事件本人を引取りたいと申出て、相手方も右申出を承諾し、右申出どおりの合意が成立したが、その際抗告人は相手方の要求により、相手方の父中村和夫の下書に従つて「事件本人の親権者を抗告人と定める。抗告人は相手方に対し事件本人の養育費、慰藉料その他一切の財産上の請求をしない。」旨記載した相手方宛の念書に捺印してこれを相手方に差入れた。そこで抗告人は、同日相手方の許から事件本人を引取り、引続き実母ゆみ子らと同居し、クラブのホステスとして稼働するようになつた。

4  ところが、その後相手方は、翻意し、離婚に際しては、自分が事件本人を引取り、その親権者になろうと考えるに至り、昭和五〇年一一月一四日父中村和夫とともに抗告人方に赴き、一人で留守番をしていたキヨの制止にもかかわらず、事件本人を奪い帰り、その連絡を受けた抗告人が相手方らに対し事件本人を引渡すよう抗議したが、相手方らはこれに応じなかつた。

5  抗告人は、昭和五〇年一一月一七日相手方を相手として、札幌家庭裁判所岩内支部に対し「抗告人と相手方は離婚する。事件本人の親権者を抗告人と定める。」旨の離婚調停を申立て、同年一二月一〇日その第一回調停期日が開かれ、双方が出頭して調停手続が進められたが、抗告人は、同日相手方との間に協議離婚をする旨の合意に達したものとして、右調停申立を取下げた。

6  そして相手方は、先に抗告人の署名を得ていた離婚届用紙の親権者欄に相手方と記載し、昭和五〇年一二月一〇日のうちに、その届出をした。

三(一)  ところで、本件抗告の理由第一は、要するに、抗告人は、昭和五〇年一二月一〇日前示の離婚調停申立を取下げるに際し、事件本人の親権者を相手方と定めるとの相手方の申出に同意はしなかつたから、先に昭和五〇年九月九日成立していた合意により右親権者は抗告人であるとし、ただ右親権者を相手方と定めた離婚届が既になされている関係上、右親権者を相手方から抗告人に変更すべきであると主張するものの如くである。

(二)  よつて案ずるに、前示二判示の事実経過によれば、昭和五〇年一二月一〇日の調停期日においては、事件本人の親権者を抗告人、相手方のいずれと定めるかが改めて問題になり、その点につき右当事者間に協議が成立したため抗告人は右調停申立を取下げたのではないかと推測されるのであるが、この点につき相手方は当審における審問において、「調停の席上、抗告人が『どうして離婚届を早く出さないのか。』と言うので、相手方が『事件本人の親権者欄のところを勝手に自分の方に書いていいものか分らなかつたので、出さなかつた。』と答えると、抗告人は、『自分は事件本人の親権者にならなくてもいいから、一日も早く離婚届を出してほしい。』と言つたので、それではすぐ出すということで調停は終つたのです。」と供述しており、右供述は、相手方が抗告人と離婚するに際しては、自分が事件本人を引取り、その親権者となろうと翻意し、昭和五〇年一一月一四日事件本人を奪い帰りながら、自分を右親権者とする離婚届をなさずにいて、同年一二月一〇日右調停取下げの後、はじめて、右の離婚届をした前判示の経過に照らし、更に抗告人の本件監護者指定調停申立書に、「申立人はとにかく相手方と離婚するため親権者を相手方と定めたのであります。」と記載してあることに徴し、真実に合致しているものと認められる。

そうだとすると、抗告人は右調停申立を取下げる際、相手方と協議して、事件本人の親権者を相手方と定めることに同意したものと認められるから抗告人が右同意をしなかつたことを前提とする抗告人の前記主張は理由がない。

四(一)  本件抗告の理由第二は、要するに、本件諸般の事情を考慮すれば、事件本人の親権者を相手方から抗告人に変更するか又は事件本人の監護者を抗告人と定めるのが相当であるというにある。

(二)  よつて案ずるに、先ず前示二の事実、前示の各陳述書、申述書、給料支払明細書、原審及び当審における当事者双方の審問の結果によれば、次の1、2の事実が認められる。

1  抗告人側の事情

(1) 抗告人は、高等学校を卒業後、札幌市内のデパートに勤めていたが、間もなく、キャバレー等のホステスとして稼働し、その後前示のとおり昭和四八年一〇月二九日相手方と婚姻して昭和五〇年九月三日から別居し、同年一二月一〇日協議離婚した。抗告人は、右別居後、実母藤田ゆみ子(現四八歳)が借受けていた肩書地の道営住宅に同女及び祖母田辺キヨ(現七二歳)と同居し、クラブのホステスとして稼働し、毎月チップを含めて金一一~二万円の収入をあげている。実母ゆみ子は、もともと、芸者、仲居等をしていたが、現在はキャバレーのホステスとして稼働し、毎月約八万円の収入をあげている。祖母キヨは老齢福祉年金の支給を受けている。右三名の折合いはよい。なお右道営住宅は六畳二間、四畳半一間であるが、住居環境はわるくはない。

(2) 事件本人を引取り、養育したいという抗告人の希望は、切実で、真摯なものがあり、事件本人が相手方に奪われてからも、「○○○」の附近を徘徊し、下番の永田とし子に密かに会つて事件本人の健康等を問合わせたり、保健婦に事件本人が一歳児検診を受けたか問合わせるなどなにかと気に掛けている。もつとも抗告人が昭和五〇年一二月一〇日前示調停期日の段階で事件本人の親権者を相手方と定めることに同意したことは前示のとおりであるが、それは、抗告人としては、事件本人の親権者となつてできるだけ早く離婚したいと思つていたのではあるが、当時既に相手方から事件本人を奪い取られ、而もその親権者の指定についての前記念書にかかる約束を争われるに至り、その点が解決しない限り離婚手続ものびのびにされてしまう虞があると考えたため、先ず離婚を実現すべく不本意ながら、親権者を相手方と定めることに同意したまでのものであり、それによつて事件本人を自分が引取つて監護養育することを断念したものではなく、抗告人は、相手方との間に離婚話が出た昭和五〇年九月九日頃から、現在に至るまで一貫して事件本人を引取り養育したいと切望してきたものである。事件本人を引取つた場合、抗告人としては、引続き前示住居で実母ゆみ子、祖母キヨと同居していくことを予定し、又できるだけ事件本人中心に生活を営み、将来高等学校までは進学させ、その後は本人の意思に委ねたいと考えている。実母ゆみ子、祖母キヨも抗告人が事件本人を引取り、右住居に同居して養育していくことに賛成しこれを扶けようとしている。

2  相手方側の事情

(1) 相手方は高等学校卒業後、調理師学校に学び、昭和四六年八月から肩書地の借家で割烹「○○○」を経営している。もつとも内部的には、相手方は主として調理、経理関係を分担し、前記和夫の後妻で相手方の継母にあたる中村ハルミ(現四八歳)が女将として采配をふるつている。「○○○」には、四〇畳一間、二〇畳一間、八畳二間、六畳一間、四畳半一間があり、通勤の芸者一名、仲居三~四名、下番一名を使用しているが、経営は赤字続きである。抗告人の実父中村和夫(現六五歳)は、元副検事で、現在恩給年金の支給を受けているほか、司法書士、行政書士として「○○○」から車で二~三分のところに事務所を構え、相当の収入をあげており、「○○○」に随時多額の資金援助をしている。

(2) 現在相手方、事件本人、ハルミが「○○○」に寝泊りし、和夫は事務所に寝泊り、食事の都度「○○○」まで出向いている。ハルミは、和夫と結婚する前から長く小料理屋の仲居等をしていたものであり、酒好きで外に出歩くことも多く、和夫との仲もとかく円満を欠き、また身体が弱く、入院手術を繰り返していて、幼児のこまごました世話をすることは苦手であつて、これをあまり好まない。それで相手方は通勤の下番永田とし子に同女の下番仕事のないときに事件本人の世話をみてもらつてはいるが、相手方側の事件本人に対する世話は十分には行届かず、例えば昭和五〇年一二月に岩内町によつて実施された一歳児検診や各種予防注射等は受けさせていない。

(3) 相手方は、昭和五〇年九月九日には、事件本人の親権者を抗告人とすることに同意し、事件本人を抗告人に引渡しながら、その後翻意して、自分がその親権者になろうと考え、同年一〇月一四日父和夫と共に抗告人の許から事件本人を実力で奪い取つて帰つたことは前示のとおりであるが、その動機は、抗告人が相手方と別居後、クラブのホステスとして稼働したこと、抗告人やその母ゆみ子が、「『○○○』では事件本人をこつちに寄こしながら、養育費、生活費を一銭も寄こさない。」と世間に言いふらしているとか、ゆみ子が事件本人を背負いながら、「○○○」の取引先、得意先に「子供の養育費のために金を貸してくれ。」と憐を請うて歩き廻つているなどという風評を伝え聞き、事件本人を相手方の方に引取つて養育した方が事件本人のためであるという配慮よりは、寧ろ前記和夫、相手方共々、このままにしていては中村家の恥を世間に曝らしその体面を汚されることになると考えて立腹すると共に「○○○」の営業にも悪影響を生ずる虞があるという配慮から、事件本人を取り戻そうと考えて右行為に出たものである。しかし、いざ事件本人を引取つてみると、ハルミは前述のように病弱であつて、事件本人の世話をするのは苦手であまり好まないし、下番の永田とし子も通い勤務であるのみならず下番仕事のないときだけ事件本人の世話をみることができるだけなので、相手方は事件本人の監護養育をややもてあまし気味でいる。

(三)  以上の事実関係に基づき、当事者双方を比較してみると、経済的事情は、「○○○」の営業が赤字であることを考慮しても相手方側が、抗告人側よりかなり優れていると認められるが、しかし抗告人も事件本人を養育するだけの経済的能力はあるものと認められる(なお、抗告人が相手方に対して事件本人の養育費請求をしない旨の念書を差し入れたことは前叙のとおりであるが、これによつて事件本人が親である相手方に対する養育費請求をする権利を失うものでないことは多言をまたない。)事件本人の監護養育の人手という点では、抗告人及びその実母ゆみ子が働きに出ていることを考慮しても、抗告人側の方が優れており、住宅環境の点はその広狭、居住性等を総合判断すると双方優劣をつけ難い。それで以上の客観的諸条件においては総合的に見て双方の間にさほどの差異は認め難い。しかしながら、事件本人は昭和四九年一二月二七日生れの幼児であつて、かかる幼児は、一般的に言つて母親のきめ細かな愛情によつて監護養育されるのがその福祉のために望ましいことは多言を俟たないところであり、本件において右と別異に認むべき特段の事情ありとは言い難い(抗告人やその母ゆみ子がクラブやキャバレーのホステスをしている点が若干問題であるが、相手方も亦、芸者や仲居を雇つて割烹業をしているものであることを考えれば、謂わば相子であつて、右の点を掴えて右特段の事情ありとはなし難い。)から、右の点から見て母である抗告人の許で事件本人を監護養育するのが相当であるうえ、抗告人は前叙のとおり事件本人を引取つて監護養育することを切望しており、監護養育の意思という点からみると、抗告人の方により切実で真摯なものがある。事件本人は、昭和五〇年一一月一四日以来相手方の許で養育されているが、事件本人の年齢、右養育期間からみれば、事件本人は、再び抗告人に引取られても、その環境に容易に適応できるものと思われる。以上全体として、抗告人側、相手方側の事情を比較すると、その間に客観的諸条件においては格段の差異はないにしても、幼児たる事件本人の母親である抗告人が事件本人を引取り監護養育するのが事件本人の福祉によりよく適い、相当であると認めざるを得ない。

しかしながら、抗告人は昭和五〇年一二月一〇日相手方と協議離婚するに際し、前示のとおり不本意ながらも事件本人の親権者を相手方と定めることに同意しており、前段にみた各事情はいずれも右協議離婚をした当時から既に存在していたものであつて、その後現在までわずか九ヶ月位しか経過しておらず、その間に事件本人のために親権者の変更を必要とするような事情の変更があつたものと認めることはできない。因みに事件本人が成年に達するまでの長い成長過程その他本件諸般事情を考慮するときは、今ここで事件本人の親権者を相手方から抗告人に変更することが長期的にみて事件本人の福祉に適合するものとは必ずしも言い難い。

以上の次第で、事件本人の親権者を相手方から抗告人に変更するのは相当でないが、抗告人を事件本人の監護者に指定し、その監護養育にあたらせるのは相当であると認められる。

五  よつて、抗告人の本件親権者変更申立は理由がなく、これを棄却すべきであるが、本件監護者指定申立は理由があるのでこれを認容すべきである。

抗告人の本件申立をすべて却下した原審判は、当裁判所の右判断と一部符合し一部符合しないので、当裁判所の右判断に従つてこれを本決定主文のとおり変更することとする。

よつて主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 宮崎富哉 裁判官 塩崎勤 村田達生)

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